先日スタジオから自宅へ車で帰る途中、気分転換のため、少し遠回りをして帰ることにした。走っていると右手前方にホームセンターが見えた。そしてお店を横切った瞬間、そこが20年ほど前に住んでいた家から一番近いホームセンターだったことを思い出した。わたしは親に連れられて、ときには一人で、夏休みの工作に使う材料や道具をそのお店で買い揃えていた。
工作に使える部品はないかな?透明な板はどの売り場だろう?ネジと釘の違いは何だろう?あれ、そもそもこれは何に使う道具なのだろう?そんなことを考えながら陳列棚の問を歩いていたことを、とても鮮明な質感と共に思い出した。あのときのあの感覚は、いまホームセンターに行ってぼんやりと考えていることと変わらないことにわたしは驚き、また数十年先もそんなことを思いながら店をウロウロしている自分の姿を想像してしまった。しかし、あのときから今までに、物事や物質について知ったいくつかのことがある。
あらゆる物質は変化することが可能である。それぞれの物質はそれぞれの切断方法、接続方法があり、時には他の物質に擬態することも可能である。また、物質や物事は、機能だけではなくイメージを孕んでいる。質感があり、記憶があり、歴史がある。それらには正しい使用方法があれば、間違った使用方法もある。
物事には因果律がある。わたしはその因果律に少しだけ、ときには大胆に手を加えて作品を制作する。あらゆるものの恒常性、耐久性を見つつ、時にはまったく新しい状態を作り出すような可変性を持たせることを考える。わたしは、物質に潜在するエナジーの行方に興味があるのだ。
物質の加工や道具の発達は文明の歴史でもあるが、当然ながら物質だけでなく、文明や人類の営みもまた多様に変化する。当たり前にあった日常が一つの出来事によって、一瞬で壊れてしまうこともあれば、現在進行形で徐々に壊れていっていることにすら気づかないこともある。
わたしは何年か先もホームセンターをウロウロしているのだろうか。そうでありたいと思う。もう少し大きくなった自分の子供を連れて。
須賀悠介